モテない人間が高学歴となる。
モテない人間ばかりいる。
自分の大学の話である。
有名な某国立大学にいたが、
周りはモテない人間ばかりであった。
これは一体どういうことか。
考えても見てほしい中高で部活に文化祭にと活躍し、
モテてきた人間が、なんの目的かはっきりわからないのに、
二度とは来ない大切な青春時代の大部分を割いて、
大学に入ろうとするだろうか。いやするはずもない。
結局は良い大学に入りたいという欲求とは、
球技大会やなんかでは体育館の隅っこにいて、
女子の黄色い声援からは全く無縁だった人間たちが
抱いた承認欲求の現れである。
何十、何百時間の勉強。そんなの正気の沙汰じゃない。
それは中高時代に大いに抑圧された「性欲」がなせる技なのだ。
三大欲求パワーなのだ。
だからこそ東大なんかには男子校出身者が多い。
なんとかモテたい、こんな自分だが青春を謳歌したい。
そんな強い欲望を抱いた哀れな若者が集まる場、それが名門大学の実態である。
就職のためだという人もいるだろうが、
まぁまぁの大学に入っても、大企業には就職できる。
偏差値が50後半の大学から大手広告代理店に就職した人間も知っている。
それはいいわけの一種ではと感じる。
たまたまだが以下の言説に似た部分もある。
ただ川上さんが「不満である」と「満足でない」という状態を
一緒くたにして考えている部分に不満を感じるが、
大筋では賛同できる内容となっている。